どうも。世界のうりだです。
あの忌まわしい「3.11」を覚えている方も多いはずです。被災地の方々におかれましては、一生拭えない心の傷となりました。
今後また同じ規模の、否、それ以上の被害が懸念される地震が起こると言われています。
「3.11」での「ずさんな首脳部の対応」を反面教師として後世に残すため、一本の映画が作製されました。
3.11 福島原発事故の実態があきらかに?!
2011年3月11日。午後2時46分。
平穏だった昼下がり。東日本では、体験したことのない大きな縦揺れで打ち砕かれました。
揺れから間もなく、岩手県から福島県の太平洋沿岸に、大津波が押し寄せてきました。
壊滅した沿岸にあったのが、東京電力の福島第一原子力発電所でした。
原発はもろに津波を被り、あっという間に機能を停止。東電が津波を甘く見ていたことが露呈しました。
原発事故で直接の被害を被ったのは、いうまでもなく原発で働く職員です。
こんな危機的状況にも拘わらず、職員は原発から逃げることを許されませんでした。もしかしたら、すでに被ばくしてるかもしれないのに。
そうした命がけの状況で、冷静かつ可及的速やかに作業にあたった職員の対応、緊張感を具に描いた映画が、今回ご紹介する
「Fukushima 50」なのです!!
原作は、門田隆将著のノンフィクション本「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」(角川文庫刊)。
あの窮地において、リーダーシップをまっとうした、福島第一原発所長・吉田昌郎役は、ハリウッドスターの渡辺謙氏が演じます。
吉田所長は、当時の日本政府からの「人としてあり得ない仕打ち」を一身に受け続け、寿命を極端に短くしたのです。
総理役には、「怪演なら右に出るものはいない!」と言っても過言ではない佐野史郎氏(゜∀゜)
佐野氏がK首相の”気印っぷり”を如何なく演じてくれていることに、期待大です。
K首相をはじめとした政府、そして東電の対応がもっとまともであれば、メルトダウンは防げたかもしれません。
私の「3.11」
私は当時会社にいました。自習室のように区切られたデスクに、アルミの棚が組まれており、棚の上には50×70×70cmほどのプリンタが置かれていました。
感じたことのない揺れ。目の前にあるアルミの棚も、大きく揺れました。
「ああ。この揺れで天井が崩れたら、死ぬな・・・」
一瞬死がよぎりましたが・・・どうやら天井の崩落はなさそうでした。
今度は生き残った場合のリスクを考えます。そうです!
目の前のプリンタが、棚から落ちることを考えたのです。
私は、棚の上に置かれたプリンタを必死に抑えてました。
結果、幸いにして私の身体もプリンタも無事でした。
電車は全面ストップ!当然私は帰れず、社内で一泊しました。帰れない同志は、数多くいました。
朝になると、「電車が動き出しましたので、とっとと帰ってください!」という主旨の社内放送が流れました。これが日本に冠たる大手IT企業のやり方なんですよ!!
帰り際、出口で乾パンと水をもらいました。お体裁ばかり気にする大手企業のやり方には反吐が出ましたね。
電車内は、これまでに体験したことのない込み具合。全踏切前でのストップ。
満員電車にもみくちゃにされ、たどり着いた上野駅で途中下車。駅前のデッキには、帰宅困難者であふれてました。彼らはまるで、戦中に行き場を失った市民のようでした。
まとめ
原作の作者である門田隆将氏が、動画で語っていました。
日本が何で助かったかって言ったら、ベントに成功してますから。
文化人放送局「【怒っていいとも】165【生田×門田×高橋】」
ベントに成功してなかったら、私たちは今この放送を大阪からやってることになりますから。東日本壊滅なんですから。
だから私たちがなぜ、東京がそのままなのかって、東日本がそのままなのかって言うと、簡単なこと言うとベントが成功したからです。
そのベントを、突入して開けた連中ですよ。(中略)
たから、彼らが救った形になりますよね!
動画の全編はコチラから。
福島の住民だけではなく、3.11のあの揺れや、帰宅できなかった方なら共感できる作品でしょう。
故・吉田所長をはじめ、原発から逃げ出さなかった多くの職員こそ、日本人としての誇るべき姿を体現してくれたのです。対してK首相は、自分の能力を誇示したかっただけでした。
原発職員の姿は、日本人の誇りそのものなのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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